先日、岐阜別院で聞かせてもらった先生のお話から
思い出したこと。
母方の祖父が亡くなる直前のことです。
人が亡くなる前の様子を知らなかった私は、
病院のベッドで寝ている祖父を見ても、
「しんどそうに息してるな」
と思うくらいでした。
病室には、おひとりの門徒(檀家)さんも一緒におられました。
そのうち、祖父とその門徒さんと私の
3人だけになるという時間がありました。
顎で荒く息をしている祖父を見て、その門徒さんは
「もう、すぐかもしれませんね。足をさすってあげましょ」
と言われました。
そういえばおじいちゃんの足をさすってあげたことなんて、
無かった。
寝間着の足元をめくると、象のようにざらざらとして
黒くなった足。
驚いて一瞬手が止まりました。
でもその門徒さんは、何のためらいもなく、
足をさすり始めます。
私も慌ててもう片方の足をさすり始めました。
この感触とためらいを忘れることはないと思います。
しばらくするとその門徒さんが
「にょ~らぁいーだーいーひぃの、おーんどぉくーは~」
と、恩徳讃(おんどくさん=*注)を歌い始められました。
静かな病室にあるのは、恩徳讃の歌声と足をさする音と、
大きな息の音。
するとその方は
「あなたも小さいころから歌ってきたでしょ。
一緒に歌いましょう」
と言われました。
こんなところなのに恥ずかしさが出て、
また一瞬のためらいがあったことを覚えています。
そして私も一緒に何度も恩徳讃を歌いました。
しばらくすると看護師さんと家族が入って来て、
病室の雰囲気は変わりました。
この間どれだけ時間がたったのか分かりませんが、
私には、濃すぎるくらい密度の濃い時間、
本当の瞬間でした。
まわりの全部が、「そのまま」で、ごまかしがきかなくて、
私に教えてくれているものが詰まりすぎていました。
この時間を思い出すと、本当に複雑な気持ちになります。
同時に、こんな経験をさせてもらえて本当にありがたいな、
と心から思います。
「仏さまのはたらき」としか言えないくらい、
飾った自分なんてどこかへ吹き飛んでしまう、本当の瞬間。
怖いくらい迫力がある、いのちの時間。
他人事だったらこうは思わないです。
だからお葬式や法事をするんだ、と教えられた気がします。
あなたは、どんな本当の瞬間をお持ちですか。
*恩徳讃(おんどくさん)・・・親鸞聖人が阿弥陀如来の
徳をたたえるためにつくられた、和讃(わさん)の中で
代表的なもの。五・七・五で詠まれている。