2018/05/02

自宅で看取ること

先日(4月22日)の専応寺婦人会法要でお話いただいた

「いのち」の現場の内容は、大勢のみなさんに

響いたようです。


今日おまいりにうかがったお宅で。

「先生のお話から、45年前におじいさんが

家で亡くなったときのいろんなことを

いっぺんに思い出しましたね。

お医者さんから、もうすぐです、と言われて

親戚のものが、おじいさんが寝ている布団を囲んで

おじいさんの息に合わるように、南無阿弥陀仏を

称えているんです。

私も、つい、一緒に手が合わさりました。

それが自然でした。

そしていよいよ臨終になって。

人の「いのち」ってこういうものなんだ、と

何とも言葉にできない、感動にも近いような

不思議な感覚でした。

あの雰囲気は、はっきり覚えています。

時代が違うからもう今は無理だけど、

あの場面と感覚を知っていたら、

いのちが大事だということは

誰でも自然に身につくんじゃないでしょうか」


言葉の説得力がものすごく、ただ聞かせていただきました。

家で看取るということは、人には言いにくい大変なことも

たくさんあったはずです。

それでもこの方は「いのち」を見つめて

大切なことを、ちゃんといただかれました。

この方がすごい、というよりも

亡き人が仏となってはたらきかけてくださった、

としか言えないところかもしれません。

現代に同じことをするのはとても難しいです。

しかし、何とかして知ってもらいたい、伝えたい、

と考えさせられた、今日の出来事でした。